期日前投票を前提に選挙情報の在り方を再検討すべし!

2024年10月の総選挙では、投票者の20.11%が期日前投票を利用した。この投票方式はすっかり一般化したと言ってよい。

期日前投票は、有権者の利便性を向上させ、投票率の向上につながる制度と期待され、2003年から実施されている(かたちとしては不在者投票の要件の緩和)。期日前投票ができる期間は、選挙の公示日・告示日の翌日から選挙日の前日までである。投票方法は、選挙日と同じように投票用紙を直接投票箱に入れる。なので、ある1日を「選挙日(投票日)」と呼ぶことじたい、もはや適切ではなくなっている。

情報政治学者として気になるのは、かりに公示日・告示日の翌日に投票する人がいるとして、その人たちはじゅうぶんな選挙情報を得られているのだろうか、という点である。

たしかに、候補者によっては、公示日・告示日に立候補の届け出をした後、きわめて速やかに選挙区内の掲示板にポスターを貼っている。なので、翌日に期日前投票に出かける人たちも何人かの候補者のポスターを見ることは可能だ。しかし、公的に行われている他の候補者情報の提供、たとえば選挙公報や政見放送といったものは、ぜったいに間に合わない。かりに全有権者が公示日・告示日の翌日に期日前投票を利用すると仮定すれば、公費で実施される選挙運動の大半が無意味になる。そこまで極端に考えないとしても、公職選挙法が定める期日前投票制度は、同じく公職選挙法が定める公営選挙の在り方と齟齬をきたしているとは言えるだろう。

近年の国政選挙では投票者の約2割が期日前投票を利用しているけど、
選挙に関する情報はじゅうぶん得られているの?

選挙公報や政見放送を見れない場合、候補者の人柄や政策を知りたければ、身近な手段としてだれしも思いつくのはマスメディアあるいはインターネット上の情報の活用にちがいない。マスメディアは公示日・告示日前後に立候補者や立候補予定者がだれであるかを報じ、候補者当人もインターネットやSNS上でさまざまな発信を公示日・告示日の前から行っているからだ。

ならば、公営選挙の今後の在り方として、選挙管理委員会などの公的機関のホームページで、立候補者のサイトへのリンクを示すなどの工夫があってもよいとわたしは思う。立候補受付とほぼ同時に実施可能だし、ポスター掲示板をあちこちに建てる手間を考えれば、なんということはないだろう。

加えて、インターネット重視の方向での是正が進めば、ビラ・ポスターの数量制限や政見放送の時間制約など、もはや意味があるのか首をかしげたくなるような規制も撤廃・縮小できるはずだ。公職選挙法は選挙事務所に設置してよい「提灯(ちょうちん)」の大きさまで定めているが、個別アイテムについての詳細な規制はもう必要ないのではないか。

公的機関が立候補者のホームページへのリンクをまとめて掲示してもよいのでは?

選挙運動期間だって再検討されてよい。期日前投票が許されているのだから、理屈としては、選挙期間はさほど大事に思わなくてよい、となるはずだ。もともと選挙運動期間は候補者が有権者に判断に必要な情報を届けるために設けられている。じゅうぶんな情報をインターネットなどで得られるなら、当然、短くてもよくなる。

反面、むしろ長くして、アメリカ大統領選挙のように1年近くかけるほうが望ましい、との見方もありうる。選挙期間中に「風向き」が変わることもあるからだ。だが、日本の選挙事務の現状を考えると、長くする方向での修正は現実的ではない。公営選挙のタテマエをすべて取り払えばできない話ではないのかもしれないが、長期化は選挙事務を担当する行政官も政治家たちも音を上げる話だろう。

また、政治人類学的に考えても望ましくはない。この学問は、選挙を日頃から準備してきたものを発散する「ハレの祭り」、あるいは「死と再生の儀礼」とみなす。たしかに祭りを1年中やっているのは問題だ。長くやれば関心が高まり参加者が増えるなら一考すべきことだが、昨今の投票率の低さを考えると、(加えてタイパ時代であることも考慮すれば)、短くてかまわないという議論のほうに分があるように感じられる。

ちなみに、政界では「常在戦場」という言葉がよく聞かれる。選挙というバトルに常に備えておかないと落選するかもしれない、という戒めなのだろう。この言葉に表れているように、議員にとっては日常活動はイコール選挙活動である。毎朝、駅頭で演説している議員もいる。選挙運動期間が多少短くなっても、選挙活動に支障が出るなどとクレームを出す政治家はそう多くはないのではないか。

いずれにしても、期日前投票が当たり前に行われるようになった現在、選挙期間も選挙運動もその1つ1つを俎上に上げて再検討し、無駄をなくしたほうがよいとわたしは思っている(個々の規制についての管見は別記に譲る)。