G20はG7の機能を補完する拡大版!

「G」の付くサミットはG7以外にもある。いわゆる「G20」のことだ。これを外務省は「金融世界経済に関する首脳会合」と呼んでいる。今ではこのG20にもサミット=首脳会議がある。

G20には,G7の7か国に加え,アジア・太平洋から韓国,中国,インド,インドネシア,オーストラリアが,南北アメリカからメキシコ,ブラジル,アルゼンチンが,中近東・アフリカからトルコ,サウジアラビア,南アフリカ共和国が,そしてロシアが参加している。いずれも経済力を理由に「新興国」扱いで選出されている。ちなみに,G20ではEUも数に入れて全部で20とカウントする。2023年にAU(アフリカ連合)の正式メンバー入りが決まったが,依然として呼び名は(まだ今のところ)G20のままだ。

いわゆるBRICS(ブラジル,ロシア,インド,中国,南アフリカ共和国)など,新興国の台頭ばかりに注目・期待する人たちのなかに,これからはG7に代ってG20が国際政治の中心的なアクターになると言う人がいるらしい。しかし,参加国の政治理念のちがいや上記の外務省の表記を見ればわかるように,G20はあくまでも「金融世界経済に関する首脳会合」である。そもそも紛争解決などに力を発揮することは期待されていないのだ。

G7とG20とでは扱える議題がちがう!

ところで,G7については,サミットだけでなく,「G7財務相・中央銀行総裁会議」もよくニュースで取り上げられる。主要先進国の経済政策の協調を図る重要な舞台となっているからだ。

この「財務相・中央銀行総裁会議」は,1973年の石油危機のとき,対応策を協議するために,アメリカ,イギリス,ドイツ,日本,フランスの5か国が非公式会合として始めたものである。そこに参加していた蔵相が後に大統領や首相になり,1975年に「サミット」を創設した。

この5か国の財務相・中央銀行総裁会議は,その後も非公式のまま続けられた。しかし,ドル安介入を容認した「プラザ合意」後の1986年の「東京サミット」で公式化され,当時のサミット参加国すべて(=7か国)への拡大が合意された。その後,サミットのほうは一時ロシアを加えてG8になったが,財務相・中央銀行総裁会議はG7のまま維持された。つまり,その当時,国際問題への対応を話し合う主要国の会議は,経済はG7で政治社会問題はG8で,といったかたちで役割を分担する「G7/G8」の枠組みで運営されていたのである。

さて,G20の創設を決めたのは,1999年のケルン・サミットにおけるG7財務大臣会合である。アジア通貨危機(1997年)やロシア通貨危機(1998年)を受けて,国際金融システムの議論には新興国の参加が不可欠だと判断されたためだった。

当初は財務大臣だけの会合だった。しかし,2007年に始まった世界金融危機に対処するため,2008年からG20は年に一度の首脳会議(サミット)も開くように改められた。

こうした経緯を見ると,G7とG20の共通点に気づく。第1に,G7もG20も「経済危機への対応策を協議する必要性」が創設・発展の原動力になっている。第2に,どちらもG7が主導する政策協調のメカニズムである。

G20はあくまでもG7を拡大して作った協議体である。G7に対抗するために,だれかがG20を呼びかけたわけではない。経済の議論では新興国の存在を無視できないので,G7は拡大会合のつもりでG20を組織した,というのが正しい理解だと思う。 

とはいえ,G7とG20には明白なちがいがある。メンバーがちがうだけでなく,G20では議論される内容が基本的に経済問題に限定されているのだ。またG7の参加国は,民主主義,自由,人権,国際法の尊重について,共通の認識を持っている。一方,G20の参加国のあいだには政治的価値観に大きな開きが見られる。当然,G20で外交・安全保障についての政策協調が実現できるとは思えない。ゆえに,G20があるからG7はもう不要だ,とはならないのである。

改めて歴史を整理するとこんな感じになる。主要国の政策協調は,当初,政治を含む議論全般をG7で,そして経済政策の具体的調整をG5でやっていた。表現を簡略化すれば「政治G7+経済G5」となる。その後「政治G7+経済G7」となり,ロシアの参加で「政治G8+経済G7」になった。そして最近は「政治G7+経済G7・G20」になっている,ということだ。

繰り返すが,G7とG20は対立しあう関係にはない。どちらか一方だけで十分,というものでもない。G20はG7の延長線上にある。その点を勘ちがいするから,G20の存在をG7の凋落と読み違えることになってしまうのだろう。

G20はG7の延長線上にあり,対立する関係にはない!