「説得責任」を問う!

わたしは「言葉政治」の技法について研究してきた。

「言葉政治」というのは,言葉を武器にして政治を動かすことだ。政治家は政治を動かすために「言葉巧み」でなければならないと思っている。カネだけで動く政治よりも言葉で動く政治のほうがより民主的ではないかとも思っている。

大事なことは「説明」と「説得」とはちがうということだ。「説明」は役人でも学者でもできる。「説明責任」ではなく,「説得責任」こそが政治家に求められる能力である。

そもそも「政治」は「嫌がる他者の説得を通じて合意を形成する技術」である。嫌がっているのだから,ふつうは「重要性を説明されても,嫌なものは嫌だ」となる。いくら言い訳されても,許せないものは許せない。説明されただけでは納得がいかないのだ。

説明が不要だというわけではない。説明に聞き手を納得させられるような話術が伴ってこその「政治説得」だと言いたいのである。

また政治では,大きな変化をもたらすために,人びとのエネルギーを激しく動員することがある。革命や戦争はもちろん,いわゆる政変や政権交代なども,人びとの高揚感に支えられて実現する。だから,戦争指導者は軍隊を前に,あるいは国民に向かって檄を飛ばす。こうすれば勝てるなどと逐一説明をするわけではない。聞き手を「そうか」と思わせればいいのである。

政治家に必要なのは,国民を説得できる話術!

聞き手を納得させるためには,それなりの話術がいる。わたしのいう「言葉政治力」である。これに欠けた政治家は,民主政治の運営に不可欠な「国民からの支持」をじゅうぶんに得ることができないだろう。

ニュースを見ていると,よく「説明責任を果たすべきだ」という論調を見かける。わたし的にいえば「説得責任」である。合理的な説明よりもむしろ,聞き手に非合理的・感情的な「得心」がもたらされるように,言葉を尽くして語りかけることだ。

今の首相にその力量があるかどうか,はなはだ疑問ではあるが・・・。