2025年5月2日、選挙ポスターに品位を求める規定を盛り込んだ改正公職選挙法が施行された。これにより他者の名誉を傷つける内容や善良な風俗を害する内容は記載禁止となり、また「特定の商品の広告その他営業に関する宣伝」をした者には100万円以下の罰金が科されることとなった。
規制強化は、2024年の東京都知事選でポスターの掲示場の枠を販売し、選挙とは直接関係がない店の広告が掲示されたという「悪用」があったためだ。なお、この政党はポスター制作会社ももち、印刷に公費支給があることを利用して利益を上げているともいわれるが、この点は今回の規制対象にはならなかった。
わたしとしては、この際、公費で設置されるポスター掲示板について、その数や場所、さらには必要性そのものについても議論があって然るべきだったと思う。だが、残念ながら悪用防止が俎上に上がっただけで、選挙ポスターのあるべき姿や資源の無駄遣いからの批判は議論されなかった。

資源の有効活用の点からも、選挙ポスターの掲示数や大きさは再考したほうがよいかも!
公営実施の対象が多岐にわたるため、どこから手を付けるべきかはたしかに悩ましい。わたしは、代替手段があったり、悪用の危険が高かったりするところから縮小・廃止していくべきだろうと思っている。国政選挙で経済的利益を得ようとは思っていないのにもかかわらず、公的な使命感から枠を削るなどの負担を強いられるものといえば、まず思い浮かぶのはマスメディアを通じた公営選挙運動だ。
候補者は新聞広告を公費で出すことができる。だがこれは、選挙管理員会により新聞に類似した「選挙公報」が印刷され、各世帯に配布されている以上、なくなっても不都合はないのではないか。選挙公報は新聞をとっていない家にも配られているのだ。
テレビで流される「政見放送」も、見たい政党・候補者の放送をいつでも自由に見られるわけではない点に課題を抱えている。働いている時間帯にも放送されるため、もしきちんと全候補者の意見を聞こうとするなら、放送時間を調べ、すべて録画して見るしかない。しかも、たとえば政党単位で都道府県ごとに行われる衆議院の小選挙区の放送では、各候補の発言は「ひとこと」の域を大きく上回るものではない。ラジオで流される「経歴放送」にいたっては、まったくもって無意味と言ってよい。
今では、インターネット上の情報や動画で、候補者の演説を聞いたり、政治的見解を知ることができる。候補者にとっても、ネット選挙運動は充実した情報を提供できるツールになっているはずだ。かりに政見放送がなくなっても、選挙管理委員会が候補者の公式ホームページへのリンク一覧などを提供すれば、有権者は必要な候補者情報を時間的制約なく得ることができるのではないか?

インターネットの選挙情報の利便性を念頭に、テレビの政見放送は見直さないとね!
ちなみに、公営選挙は公平性確保を目的に導入されているのだが、実態はかなり逸脱している。いまでは政党の日常活動としての広告であれば、いつでも何にでも自由に掲載できる。その点でとっくに選挙運動の公平性は保たれていないのである。一定の基準のもとに、各候補者に新聞紙面枠やテレビ時間枠を与えれば、それで公平な選挙運動になるだろうという発想じたいが、すでに時代錯誤になっている。
政治家は言い出さないだろうから、選挙広告や政見放送の改革についての提言はマスメディアの側から出すのがよいように思う。とはいえ、かれらが公的使命を果たしているとの存在意義を強調したいとすれば、ここでも「身を切る改革」はなかなか実現しないかもしれない。
