失言は政治家の能力不足の反映!

2025年5月、コメの価格高騰が続くなか、江藤農林水産大臣が講演で「私はコメは買ったことはありません。支援者の方々がたくさんコメをくださる。売るほどあります、私の家の食品庫には」などと述べ、「失言」として問題になった。

わたしは過去に「失言」について多くの取材を受け、おおよそ次のように説明してきた。

そもそも政治家は、過激な言葉遣いや小馬鹿にした言動で有権者の心をつかんだり、自身への注目を集めたりすることがある。いや、政治家ならずとも、そういう振る舞いはわたしたちの日常的にも見られる。もちろん言論の自由もある。

ゆえに、失言を問題とすべきは、行政の担い手の任にある政治家、たとえば首相、大臣、知事などである。行政実務や外交関係への影響を考えて発言することが求められる職務に就いている場合である。

たった「ひとこと」をなぜ問題視するのかは、失言がその政治家のホンネや本性・資質をさらけ出しているからである。うっかり言った「ひとこと」であっても、それは日頃から考え感じていることが口をついて出たものと見てよい。少なくとも、これは言ってはいけないことかもしれない、という考えがなかった時点で、政治家としてのセンスを疑われて当然だろう。

要職に就いているのに失言するようでは、有能な政治家とは言えないよね!

もちろん失言にも程度やタイプがある。いちばん政治的に問題となるのは「差別発言」だ。特定の社会集団への偏見を表す「直接的な差別発言」はもちろん、特定の社会集団への配慮に欠ける「間接的な差別発言」も含まれる。日本人の多様性やアイヌ民族の存在を無視して「日本は単一民族」などと決めつける場合などが該当する。

最近の例では、2024年に川勝静岡県知事が、新入県庁職員への訓示のなかで、「野菜を売ったり、牛の世話をしたり、モノをつくったりする人と違って、県庁職員は知性が高い」といった内容の発言をし、職業差別発言として辞任に追い込まれた。ちなみに、2023年に佐竹秋田県知事が四国のある食べものについて「貧乏くさい」との「差別的な発言」をしたが、こちらは謝罪で乗り切った。

さて、差別発言以外の失言は「不適切発言」になる。今回の江藤大臣の「失言」もこれに該当する。農林水産大臣がコメにまつわる国民の苦労に頭を悩ませているとは思えない発言をしたのだから、分不相応な公職に就いていることを感じさせる、いわば「分不相応型の失言」である。なお、江藤大臣は発言を陳謝・撤回し、石破首相も任命権者として陳謝したが、国民の怒りはおさまらず、大臣辞任となった。

このほか「不適切発言」として話題になるもののなかには、キャラゆえの「軽率発言」として、さほど問題にならないものもある。2024年に麻生副総理が上川外相を「おばさん」と呼んだケースが、この類型に入る。ちなみに、麻生氏は褒めるつもりで「このおばさんやるねぇ」と言ったのだろうが、容姿についての言及もあり、謝罪・撤回となった。

失言には差別発言(直接的・間接的)と不適切発言(分不相応型・軽率型)がある!

失言が生じやすいのは、その場にいる聴衆に向けたリップサービスのつもりで語られるエピソードや比喩においてである。佐竹知事の発言も、出張先の四国から秋田県に戻った際、県産品のすばらしさを再認識したとの思いで語られたようだ。

だが、今の時代、要職にある政治家の発言は容易に記録され、全国・全世界に知れ渡っていく。これを念頭に置いて話ができないようでは、少なくともIT時代の政治家にはふさわしくないと言えるだろう。