2026年の総選挙は、高市自民党の大勝という結果だった。わたしが言ってきた「2012年からの新旧政党交代政局の時代」が、如実に示された選挙だった。
この時代の流れに気づいていない人たちからは、かなりトンチンカンな評論が聞かれた。情報政治学者としては、以下の点を指摘しておきたい。
1 自分は理性的だとアピールしたいだけの「熱狂がもたらした勝利はよくない」という批評
まず、熱狂が政治に不可欠の要素であることを再確認しておく必要がある。政治は、通常の行政活動では対処しきれない「行き詰まった状況の打破」をその社会的役割としている。ゆえに政治では、普段とはちがう「ドラマチックな手法」まで利用することで、事態の打開が図られる。
革命の例をあげるまでもなく、政局の転換時には狂乱とも言える感情の鼓舞が伴うのは当然である。与野党の政権交代時、反対党を支持する側がお祭り騒ぎをする事例は、民主政治が進んでいるはずの主要先進国においても枚挙にいとまがない。選挙は「だれが勝つかが見もの」のバトル要素を有するだけに、昔から有権者もメディアはそれを楽しんできた。悪人退治や若い女性の挑戦といった「物語性がある選挙」については、メディアは勝手に「注目選挙区」にして候補を追い回し、選挙の娯楽化に拍車をかけてきた。
そもそも経済活動においても、「ブーム」は市場分析(冷徹)や経済合理性(打算)を超えた予想不可能な要素である。ある商品がブームによって売れたからといって、だれもいけないこととは言わない。買った人をつかまえて、ちゃんと考えて選んだのか、などと詰問することもない。
言うまでもなく、ブームは簡単に作り出せるものではない。ブームを演出できるとしたら、それは間違いなく1つの能力である。企業なら「ヒットメーカー」は重用されるはずだ。
つまり、民主政治を前提としている以上、有権者に有効にアクセルできるツールを駆使して、勝つためのナラティブを演出できた側に「政治的能力」を認めざるをえないのである。

ブームを作り出す力があるくらいの政治家じゃないと、
政局を動かして、今後の日本政治の基盤をしっかり構築できないよね!
2 オールドメディアも同じなのに、「SNSは偏った情報源なので、SNS重視の選挙はよくない」とする批評
人間には、自分が好む情報を優先的に取り込む、という傾向があることはよく知られている。また、複雑な情報に接した場合は、それを簡便化して(ヒューリスティックに)取り込むのが普通だとわかっている。
よく「政策をきちんと比較して」などと、したり顔でコメントする人がいるが、大半の人の投票行動はそのようなものにはならない。所属団体がこの人と言った人に投票する(送り手の都合重視)、自分に都合のよい支援策や金銭的利益を言っている人に対し、ほかの争点などいっさい気にせず投票する(受け手の欲得重視)。いずれにしても、たいして考えているわけでない。
また、オールドメディアもSNSもしょせんは情報ツールである。自分が見たいものしか見ない、という点でも大差はない。SNS時代になったことが有権者の政治判断にゆがみを与えているかのように言う意見があるが、いまさら団体が支持する候補に多くの人が盲目的に投票してきた時代に戻れということなのだろうか。
今回の総選挙では、候補者や政党がSNSでバカにされたり、いわれなき批判にさらされたりするケースがあった。しかし、対面でしか選挙運動ができなかった時代から、あらぬうわさや怪文書は選挙の「定番ツール」だった。そうした批判にも屈せず、あるいは笑われてもそれを逆に笑い飛ばすような強い胆力をもった候補者だけが、当選を重ねて大政治家になっていった。

SNSを悪者扱いしても、自分がSNSを使いこなせないオールド・チームの一員であることを表明しているにすぎないよね!
3 権力批判が娯楽だった時代の終焉、そして前向きな推し活政治時代の到来
すでに多くの人が指摘していることだが、今回の総選挙では、ディスるだけの演説を繰り広げた野党が大敗北をした。
すでに日本は、あらゆるハラスメントを許さず、上から目線でケチをつけるだけでも炎上する時代に入っている。
たしかに、批判的視座は重要である。現状の問題点を指摘できれば、それを是正することで社会をよりよい方向に導くことができる。だが、他人の悪いうわさを楽しむ人がいるように、批判は1つの快楽でもある。もちろんあまり上品なものとはいえない。その当然の価値観を現代の若者は総じてやや強めにシェアしている。
権力の監視役を自認するオールド・メディアでは、「自分は善で、権力者は悪」という時代劇的な描き方をすれば、自分も役割を果たした気になれるし、視聴者を喜ばせることもできる、という基本姿勢で「バラエティ化したニュース・ショー」を制作してきた。しかし、政権批判がじつは自己満足的な「批判の娯楽」をもたらしているだけだと気づいた若い世代は、ディスるだけの野党とオールドメディアに愛想をつかした。
だれしも、がんばっている人・ステキな人のファンとなって応援したい。それを「推し活」と呼ぶなら、判官贔屓で大勝した枝野氏率いる誕生時の立憲民主党だって、多くの人の「推し活」に支えられたと言えるだろう。「推し活」現象はなにも与党有利にばかりはたらくものではない。今回の選挙で言えば、推したくなる要素が野党側に少なかっただけだ。
2026年総選挙の結果は、前向きな姿勢を貫きたいと思ったチームと、政権批判というオワコンにすがりついたチームの差である。今の時代、徒党を組み悪口を言ってウサをはらしている老人たちの仲間に、若者たちは加わりたいと思わないにちがいない。そうした文化の変容が見られるのに、なんでもかんでもSNSや冷静さを欠いた一時的ブームのせいにする。そうした非分析的な意見には無理がある、とわたしは思っている。

ようするに、後向きより前向きがいいという「人間社会の常識」が明瞭に表れただけの選挙だったんだね!
